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見出し画像ジョホールバル1%の勝算
華僑を狙え!

 山猫と呼ばれた吾輩もそろそろ引退である。若い者に聞かせてやりたかったボスとの思い出話が山ほどある。そろそろ時効だろう。今まで話さなかったことをポツポツ話しておこう。

 いつもボスの大胆なやり方には恐れ入っていた。ジョホールバルの一件は、まるで小説の中にいるかのような仕事だった。

 1990年(平成2年)8月29日13:30成田発JAL719便。ボスはマレーシアジョホール州の州都ジョホールバルに入るためシンガポールへ飛んだ。当時、製紙業界で凄まじい威勢を誇っていたA社の密命を受けて約600エーカー(73万坪)のゴルフ場住宅開発地の買収のためであった。A社は企業名を伏せて密かに開発地を取得しようとしていたのである。

Malaysia palm oil plantation

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 1986年(昭和61年)12月から始まった資産価格上昇と好景気によるバブルは、1989年12月29日、日経平均株価が38,957円の史上最高値を記録。日本中がバブルに酔いしれた。1990年8月。すでに株価は1990年の年明けから下落に転じていた。土地を始めとする資産価格がピークアウトしてバブル経済が大崩壊を始める半年前であった。

 当時の日本では、ゴルフ場の会員権ビジネスが盛んで推定20兆円市場が出現したといわれている。多くの企業がこぞって会員権事業に手を出し、日本から海外へと開発を拡大していたのである。

 マレーシアでも13州すべてにゴルフ場があり、チャンピオンコースだったSICCを筆頭に22のコースがあった。

 日本からは、鹿島建設・三菱グループがデサルーにゴルフ場72ホールのほかコンドミニアム・遊園地などのリゾート施設を計画。コンティギンでは、伊藤忠商事がゴルフ場・ホテル・ショッピングセンターを計画。セナイでは、高周波電機メーカーのウルボンがゴルフ場2コース36ホール。現地メーカーUMCORがパルムリゾートを開発していた。更にタマリンティンでは神奈川のディベロッパー、オクトと安藤建設が設計を始めていた。

シンガポールとマレーシアを結ぶコーズウェイ海峡の真ん中が国境

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 ジョホールバルは、1997年11月16日のサッカー、ジョホールバルの歓喜で有名になったが、その7年前には、ほとんどの日本人は知らなかったがシンガポールからコーズウェイを隔てたマレーシア南端の州である。

 シンガポールからの需要も見込める絶好のロケーションにあった土地には、当然、当該地の買収を狙うコンペティターが押し寄せた。日本の住友商事をはじめ、マレーシア最大の開発企業など最終的に5社による購入オファーが提出されることになったのである。

 ボスはアタッシェ一つで単身、並みいる強豪相手の戦に乗り込んだのである。

 

落とせるものなら落としてみろ!

 吾輩はジュンと同じボスの乱波である。ボスの征くところには吾輩も行く。ジョホールバルでの吾輩の役目は、シンガポールと日本を行き来するボスに代わり、戦が終わるまでマレーシアに留まりボスの命令で動くことであった。

 シンガポール入りして2日目の8月30日。ボスに呼ばれて行くと、いつも無表情なボスがニヤニヤしている。悪い予感がした。ボスがニヤつくのは戦を考えている時だ。いよいよ始まるなと思ったとき、「ネコよ、相手の弁護士の出身大学を調べて同じ大学出身で相手の弁護士と交流がある弁護士を探せ。」と言った。吾輩が、話がのみ込めず「はぁ?」と生返事すると、「今、上から落とせるものならさっさと落としてみろと言ってきた。ほな落とさしてもらおかと思うてな。仕込むわ。」と仰る。それでも話が呑み込めないまま、とにかく探しに出た。

 30年前は現在のような便利な時代ではない。携帯電話もメールもない時代。足を棒にして探して、都合よく、それらしきシンガポール人の弁護士を探し当てた。

 「今から会うからアポを取れ。」と言われ、一緒に弁護士事務所へ向かった。ボスは、その日のうちに契約を交わし別室で弁護士と何やらヒソヒソと打ち合わせを始めていた。

 9月に入り、ボスはいったん帰国した。

 話はこうだ。当該土地は以前からゴルフ場開発地として注目されていたのだが誰も買収できなかった。A社もなんとか手に入れようとしたが、手強い売り手に手をこまねいていた。そこで、水溜まりで鯛を釣る狂気と言われていたボスにミッションが回ってきたのだ。A社には数万人の社員がいた。海外事業部には一流大学を出た自称エリートたちが屯していたのである。それらが束になっても落ちずに考えあぐねるというのだから、どうやら、駄目で元々と思ってボスを使ったという経緯だった。

 ボスはこの手の戦いは大好物である。とにかく、群れるのが嫌いな人で一人で突っ込む。その先は考えない人のように思える。織田信長の武将、羽柴秀吉との激戦の末、2年間籠城し、最後は一族の主だった男たちは全員切腹して果てたという凄まじい武家の末裔のDNAゆえかも知れない。「俺か、俺は死ぬまでは元気だよ。」もボスの口癖だ。

 2週間後、帰国していたボスが戻ってきた。A社の海外事業部の2人が一緒だった。戻った翌日、ボスは2人を連れて、売却のすべてを取り締まる Dato’ Sriの称号を持つ人物に会うためジョホールバルへ向かった。

 当該地は広大なパーム農園の一部であった。マレーシアはインドネシアに次ぐ世界第2位のパーム油生産国であり生産量は両国で世界総生産量の80%を占めていた。当時のジョホールバルのサルタンは前国王で当該地に関係していた。直接の交渉相手は農園代表者であったが、その上には、ふだん姿を見せない Dato’ Sri の称号を持つサルタンの側近が控えていた。Dato’ Sri の称号はサルタンから授与され国王から授与される Tan Sri と同じランクの称号である。

 吾輩には、どこでどうやってダトーとボスが会うことになったのか分からないが、敵の大将を引っ張り出すのはいつものとおりである。ダトー以下ズラリと居並ぶ10名の役員。こちらは、弁護士とボスとA社海外事業部の2人。

 最初は、和気あいあいの会議だったが、しばらくすると、ボスが激しい口調で条件交渉に入った。相手の数人もボスに対して激しく向かってきた。ダトーは黙って両者のやり取りに聞き入っていた。A社の自称エリートたちが元気だったのは、最初の自己紹介だけで激しい論戦になってからは借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった。

 論戦は1時間ほど続き、ボスが要求して10分間の休憩に入った。ボスは、A社の2人にホテルへ帰れと指示した。2人はホテルへ帰った。肉を切らせて骨を断つような紙一重の交渉を、いちいち本隊に報告されてはやりにくいという判断だったのだろうが、吾輩に言わせれば、心配しなくても、2人は何を喋ってるか分かっていなかった。その後、更に1時間会議が続いた。

 9月中には5社のオファーが提出されて当該土地の買い手が決定する。どの企業も大企業らしく5人10人のチームがオファーに臨んでいる。ところが、A社がアシスタントとして送り込んだ2人も、ボスは東京に電話して、邪魔だから引き取ってくれと帰国させてしまった。時間はない。いったいどうするつもりなのか?吾輩にはさっぱり分からなかったがボスはすでに勝ったかのように上機嫌であった。

 

虎の肉


 ホテルに閉じこもったままだったボスが、現地のゼネコンの誘いを受けて繁華街へ出かけた。当時、ボスがシンガポールの定宿にしていたのは ウェスティンシンガポールノースタワーであった。ノースタワーはビジネスマン仕様で、大きな部屋にはそれなりの書斎も応接も用意されていた。ボスはジョホールバルへ行く以外の時間はほとんどこの部屋で人と会って過ごしていた。

 稲菊というホテルにあった日本料亭の女将と親しくしていたボスは、食事には、いつも稲菊を利用していた。その日は、めずらしく出かけたのである。なん軒めだっただろうか?ディスコのような店に入ってしばらくするとすらっと背の高いマレーシア系美人が席へ来てゼネコンの役員にあいさつをした。ジョイという名のシンガポール女性であった。シンガポールのディスコクウィーンだという。店を出る頃には、ボスとジョイはすっかり仲良しになっていた。ジョイが名刺をくれとせっついたが、ボスは名刺を渡さずコースターにホテル名だけ書いて渡した。当時は、今のような携帯電話はなかったのである。

 なぜ、ジョイの話をしたかというと、ジョイは、このあと起きるボスの窮地を救う手助けをしてくれたのである。その縁で、今もボスの配下として東南アジアを担当しているのである。

 オファー期限の一週間前、ボスは首都クアラルンプールへ飛んだ。ダトーと会うためだ。翌日戻ったボスは、そのまま弁護士事務所へ向かいオファー作成に取り掛かった。

 9月29日、オファー期限の前日、ボスはオファーの入ったアタッシェを手に再びクアラルンプールへ向かった。

 10月25日、A社のダミー会社のB社に売却オファーが提示された。

 11月3日、B社が売却オファーを受理。双方の土地売買基本合意ができた。両社はドラフトの調整に入り双方合意の上で売買契約が成立することになる。この調整が失敗に終わるまでは、売り手はB社以外に売却オファーを提示することはできないのである。

  ボスが勝ったのである。

 吾輩は狐につままれたようであった。ボスはいったいどうやって売却オファーを勝ち取ったのか?その時の吾輩にはまったく分からなかったのである。

 翌日、プランテーションの代表者がシンガポールのボスのところへあいさつに来た。イスラム教は禁酒だが今日はお前とは酌みたいといって稲菊の部屋を借り切って酌み交した。代表がボスに、お前のために用意するものがあるから明日はマレーシアへ来いというので、翌日は、ボスがマレーシアへ行くことになった。

 バカでかいテーブルには贅を尽くした料理が用意されていた。プランテーションの代表は身長が2メートル近い大男である。彼は料理人が運んできた別の皿をもってきて、ボスに「食え!」と言っている。皿には大きな生肉が二切れ乗っていた。大男は説明もせずにもう一度、ボスに「食え!」と促した。ボスは黙ってその生肉を一切れ取って食べた。代表は「うまいか?」と尋ねた。ボスが答えずに皿に残った肉を食べようとした時、大男が笑いながら、「やめろ!それ以上食べたら大変なことになるぞ!」と言って止めた。ボスは、いつものポーカーフェイスで、何もなかったように酒を飲んでいた。

 大男の代表が、「それは、お前に食べさせるために俺が撃ってきた虎の肉だよ!」とボスに言った。ボスはにっこり笑って「ありがとう。一口だけではよく分からんが、おいしい肉なんだろうな。本当にありがとう。」と返した。

 後で聞くと、広大な農園の北方には虎がいるらしい。代表は、ボスを驚かそうと自ら銃で撃って獲ってきたというのである。話によると、これは代表の最高の歓迎だそうだ。

 そうかもしれんが、食べさせる方もおかしいが、食べる方もおかしいのである。ただ、吾輩が分かるのは、前日とその日の二日間で、この大男とボスの間にある種の男の友情が生まれたのは確かであった。

 それにしても、4社の強豪を相手に、ボスはいったいどうやって勝ったのか?その時の吾輩は、虎肉のことより、そっちを聞きたくて聞きたくてたまらなかったのである。

 翌朝、ボスの唇は腫れあがっていたそうだ。。。恐るべし虎の肉!

 オファーも成功し、あとは契約をするだけ。

 めでたしめでたしのはずであった。

 この時、年明けに起きる、1%の勝算に賭けたボスの熾烈な戦いが始まろうとは吾輩は夢にも思っていなかったのである。

 日本経済の景気動向指数は1990年10月を頂点にピークアウトした。首都圏で異常高騰を続けた地価も1990年秋から急落に転じた。バブル経済の終焉であった。A社の財政にもバブル崩壊の前兆が既に現れていたのであった。

 

 

契約を破棄せよ 


 売却オファーをB社が受理したことによって当該土地の交渉権はB社が獲得した。ボスはA本社へ行き報告を終え無事ミッションを終了した。

 年を越し三が日が過ぎたばかりの1991年1月5日、土曜日、吾輩が正月を満喫しているところへボスの電話が入った。

 「ネコよ7日にシンガポールへ飛んでくれ。。。」

 1月7日、言われた通りシンガポールに入った。翌日ボスが来ることは誰にも気づかれるなと言われていた。関係者誰一人ボスが来ることは知らない。吾輩は一足先に入りボスに指示された2人のマレーシア人と3人のシンガポール人に合流した。

 1月8日、ボスの部屋に集まった。ボスと吾輩のほかにはマレーシア人の男性と女性の2人、シンガポール人の男性1人と女性2人だった。吾輩は知らなかったが、彼らは、ボスが昨年コンペティターの情報を取るために配下にした仲間だったのである。

 ボスは、弁護士と彼らを使って、売り手の内情をはじめ必要な競合相手の情報を全て掴んでいたのである。昨年、オファー期限の一週間前に、ボスはその情報を持ってクアラルンプールでダトーと密談したのである。ボスはあの時点で勝利を確信していたのである。その真実は後から知ることになった。

 「みんな呼び出してすまんな」とボスが切り出した。

 話はこうだ。A社がB社に契約を破棄してくれと頼んできたので、そんなことをしたら裁判になると断ったが、裁判してもいいから破棄してくれといって聞かないので、ボスになんとかしてくれないかと泣きついてきたのだ。

 土地売買契約について、日本とマレーシアはまったく違う。日本の場合、基本合意しても、買い手の手付金を流せば済む。米国式のマレーシアではそうはいかない。売却オファーを受理した時点で売買に関する基本合意が成立している。もしB社が一方的に破棄したら売り手は当該土地を好きな値段で売れる。当該土地は約13億円で合意していたが、売り手が1億円で売ったら、差額の12億円はB社が補償することになる。それがマレーシアの法律である。裁判しても敗訴は確定している。

 推察するに、3万人の社員を抱える企業のトップが、日本とマレーシアの法律の違いも知らずに買収命令を出したのである。吾輩はボスの苦労も知らずに勝手なことをほざくA社のトップにはらわたが煮えくり返る思いだったが、ボスはいつものポーカーフェイスだった。

 ボスが指図を始めた。

 「彼らは3派にわかれている。ダトー派とダン派とチョウ派だ。当該地の利権はダトーとダン派対チョウ派だ。俺が密談したのはダトー派で、今、B社と交渉しているのは彼らだ。俺は本隊には黙ってB社がダトー派に成功報酬2000万円支払うという契約にサインさせた。当然チョウ派も同じことを考えていたはずだ。」

 「いいか、チョウの周辺に徹底的に情報を流せ。」

 「B社より高く買いたい日本の大企業があるという情報を流せ。」

 「チョウは華僑だから必ず儲け損ねた金を取りに来る。」

 「B社に証拠金の交渉をわざと遅らせるように言ってあるからチョウはそれを責めてB社の売却オファーアクセプト破棄を要求してくる可能性がある。」

 「そのFAXがB社に入ったら、こっちから再交渉を要求して決裂させれば合法的な契約解消になるから補償問題も消える。」

 「分かったか。」

 なるほどそんな手があったかと吾輩はボスの作戦に感心したが、正直、その成功の可能性は0に近いと思った。

 しかし、吾輩とはちがい、ボスはすでに次の作戦を考えていたのだ。分かったかといい終えたボスはニヤリと笑った。ボスの大好物の戦が始まったのである。

 

コーズウェイを渡れ!1枚13億円のファックス


 水、木、金、土、日と一週間が過ぎた。

 ボスは毎日B社に電話して英文ファックスが届いていないか確認している。

 B社は大企業A社の創業者一族の実質的なファミリー企業である。それなりの連中だが、すんなりと英文を読めるとは言い難い。ボスから代表者に指示しているものの当てにならないことも承知していた。

 「1%か...明日あたりが勝負だな...」

 ボスがひとりごとを言った。

 ドアをノックしてジョイが入ってきた。ボスがシンガポールに来てから、ジョイはボスの傍を離れない。ボスが考え込んでいるとボスを笑わそうと健気に尽くしていた。

 「よーし、今晩はみんなでうまいフカヒレでも食うか!」

 内心、胃がきりきり痛んでいたであろう。さすがのボスも血色が悪かったが顔はいつものポーカーフェイスであった。

 1月14日月曜日の午後、東京から電話が入った。何かしら英文ファックスが届いたようだ。

 「直ぐに送れ」

 内容も聞かずにボスが言った。

 We are instructed to inform you that our clients' counter offer in our letter of 25-10-1990 is hereby treated as lapsed and withdrawn.
 However without ・・・

1991年1月14日B社に送られてきた奇跡のFAX

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 ボスの読みが的中した!この時、吾輩にも、ボスが「水溜まりで鯛を釣る狂気」とあだ名される理由がなんとなくわかった気がした。ボスは水溜まりで鯛を釣ったのである。

 「ネコ、弁護士に連絡しろ。」と言いながらボスはネクタイを締めた。

 ボスと弁護士の綿密な打ち合わせは2時間に及んだ。

 ホテルへ戻ると、B社からのファックスが届いていた。ダトーからボス宛のレターだった。B社にファックスされたレターは、売却反対派だったチョーの独断で出されたものだから破棄してほしいという内容であった。

 30代の若いボスと老獪なダトーだが、二人はビジネスを通じて互いに尊敬し認め合っていた。吾輩には、届いたファックスをじっと見つめるボスの顔がとても悲しげに見えた。ボスへのミッションは契約を破棄することであった。ボスはダトーが破棄を願っているレターを利用して契約破棄の戦いに挑もうとしていたのである。

 次の会議では、そのダトーの願いを切り捨てなければミッションは果たせない。

 ダトーのメッセージを見てからのボスは、いつものポーカーフェイスだったが、吾輩には悩み抜いているようにしか見えなかった。その夜、ボスは一睡もしなかったと後からジョイに聞いた。

 1月18日金曜日、会議の当日。ボスは綿密な作戦を練り上げていた。

 ボスの作戦はこうだ。

 会議が始まると同時に、ボスが1月14日に届いたレターを見せて相手の要望を受け入れ11月3日のアクセプトレターを破棄した上で新たな交渉に入ることを宣言する。

 相手の言い分を聞く。

 時間をはかって、ボスが弁護士との打ち合わせのための休憩を兼ねた退室を要求する。

 再開すると同時にボスが宣言する。

 「我々は購入を希望するが、そちらの条件は受け入れ難いので、いったんこの交渉を打ち切る。法的な処理は弁護士に任せているので話し合っていただきたい。私は退席させていただく。」

 退席したボスはそのまま空港へ向かい、時間に合わせて手配済みのJAL便で帰国する。帰国によって再交渉のすべを断つのである。もちろん会議開始時刻はJAL便の時刻に合わせてボスが申し込んだのである。

 吾輩とマレーシア人の二人はボスに同行し、ほかの配下は空港で待機する。

 問題はコーズウェイの税関審査場である。強引に退席したボスを止めるとすれば、ここである。サルタンがやろうと思えばボスを止めるのは簡単である。権力が動けば止める手はいくらでもある。当時、そのような事例はいくらでもあった。多いのが覚せい剤の入った小さな袋を荷物チェックといってトランクに放り込むのである。同行した二人のマレーシア人の役目は、それを防ぐことであった。

 その日の午後、昼食を済ませてマレーシアへ向かおうとしていたボスにもう一つの奇跡が起きた。

 ダトーから身内が急死したため会議を欠席しなければならなくなったというメッセージが入ったのである。

 奇跡といったら不謹慎であるが、少なくとも会議の場で、ボスは呆然とするであろうダトーの姿を見なくてすんだのであった。これを天の計らいというのか、武士の情けというのか、とにかく吾輩は人智の及ばぬ運命に身震いした。

 ボスはホテルのフロントで手早く用紙にダトーへのお悔やみを書きそのまま戦場へ向かったのである。

1991年1月18日午後2時3分ボスからダトーへのレター

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 すべてはボスの筋書き通りに運んだ。無事にコーズウェイも通過したボスと吾輩は、チャンギ空港への道をひた走ったのであった。

 ボスの起こした奇跡によって、A社は13億円の支払いを免れたのである。ボスは1%の賭けに勝って再びミッションを果たしたのであった。

 

ボスの涙


 空港へ着くと配下のシンガポール人たちとジョイが待っていた。

 ジョイはボスを見て安堵の表情を浮かべて近づいてきた。笑顔だが寂しそうだった。ボスは一人一人握手しながら働きを称えた。みんなボスとの別れを惜しんでいた。

 ジョイは泣いていた。目を真っ赤にしてすすり泣いていた。それを見て吾輩も泣きそうになったがボスはいつものポーカーフェイスだ。ジョイに近づいて「ジョイほんとうにありがとう。お前のお陰で戦うことができたよ。」と言いながらニッコリ笑ってやさしく肩を抱いた。それまで必死にこらえていたジョイが所かまわずしゃくり上げた。通る人が何事かと二人を見た。ジョイがボスと再会したのはその3年後であった。

 搭乗時刻になった。

 さすがに疲労困憊したのか、座るとボスは目を閉じた。吾輩は寝させてあげようと思って話しかけずに黙っていた。

 しばらくすると、

 「凄い奴らだったなあ...」

 ボスがポツリとつぶやいた。

 見ると、うっすらと開けたボスの目に涙がにじんでいた。

 「ネコ、あいつらともっと酌みたかったなあ...」

 吾輩は泣きそうになったので話をそらした。

 「ボス、ジョイはどうするんですか?」

 ボスは暫く黙って、

 「好きなようにさせてやるさ」と言って目を閉じた。

 吾輩はジョイの気持ちを察すると愛おしくてたまらなかったのである。

 

後日談


 3年後、ボスとジョイは再会した。喜んでほろ酔いになったジョイはボスの前でこの曲を踊りながら歌った。吾輩が知るかぎり、それからずっと、ジョイは上手に踊りながらいつもこの曲を歌っていた。もし、シンガポール辺りでこの曲を歌いながら踊る美しいマダムがいたら、それがジョイである。その曲を聞きながら吾輩の話はおしまいにしよう。

エムケイコンサルティング 吾輩は山猫である

 

 

 

 

 

 



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