おこしやす、美津子です。
わたしの出身地京都。前回は下鴨神社が発祥の「みたらし団子」のおはなしをしました。ご覧いただけたらとても嬉しいです。
今回は京都の山里、貴船に鎮座する貴船神社にまつわるおはなしです。
京都叡山電鉄の貴船口駅。
貴船(きふね)は鞍馬に隣接した美しい渓流の山里です。
京都大学がある左京区の出町柳駅から半時間。夏には、蒸し暑い市内から涼を求めて多くの人が訪れます。お目当ては貴船川の渓流で涼をとりながら舌鼓を打つ川床料理と貴船神社の三社詣で。川床料理街には『川床料理旅館 貴船べにや』をはじめ多くの川床料理店が並んでいます。
▲ 貴船口駅 ▼駅から徒歩5~10分の貴船べにや
この渓流の山里は、川床料理ともう一つ、ちょっと怖いおはなしの発祥の地になっています。
「丑の刻参り」という言葉をご存じだと思います。この言葉の元は貴船神社の「心願成就の丑の刻参り」という習わしを表す言葉です。
しかし、いつの間にか、真夜中丑の刻に、ローソクを突き立てた鉄輪を頭に被った白衣の女性が呪い殺す相手に模した藁人形を五寸釘で神社の御神木に打ちつけるという恐ろしい行為を表す言葉だと思われるようになりました。
その謎を探ってみましょう(((*^▽^)/★*☆♪
水に浸すと文字が浮き出る「水占みくじ」が人気の貴船神社。
貴船神社のサイトによると、
「貴船神社は万物の命の源である水の神を祀る全国二千社を数える水神の総本宮であり全国に約450ある貴船神社の総本社」ということです。
古くから水の神様として信仰を集めています。創建の確かな記録がなく、残っている記録で一番古いのは白鳳6年(西暦の定説はありませんが、白鳳は650年~685年間の何年かの期間だとされています。)の社殿造替の記録です。
神社の伝承によると、日本神話に登場する神武天皇の母、玉依姫命(タマヨリヒメ)が黄色い船で淀川▷鴨川▷貴船川を遡って当地に上陸し水神を祭ったのが社の始まりとされています。
神社名は「黄船(きふね)」に由来するとされていて、奥宮境内にある「御船形石」は、玉依姫命の乗ってきた船が長い年月の間に石に覆われたものだと伝えられています。周囲に落ちている小石を持っていると無事な航海(旅行)ができるというので持って帰る人が多いそうです。(^_^)v
▼ 御船形石
貴船神社には、本宮(ほんぐう)・奥宮(おくみや)・結社(ゆいのやしろ)があり、順番にお参りする「三社詣で」の習わしがあります。
▲ 本宮本殿 ▼ 奥宮本殿
▼ 結社本殿
貴船神社には、三社詣での習わしのほかに「心願成就の丑の刻参り」という習わしがあります。
貴船神社の神様が、丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻に降臨されたと信じられていて、丑の刻に詣でれば必ず願いが叶えられると伝わっています。
日本には、陰陽五行思想に基づく陰陽道によって占筮を行う陰陽師という官職がありました。陰陽師が、 その対象を殺すために行う技を呪詛 (じゅそ)といいます。藁人形を突き通す行為は陰陽師の呪詛の技の一つです。
この「心願成就の丑の刻参り」が、いつのまにか陰陽師の呪詛と結びつき、願いが叶うなら呪いも叶うだろうとなり、三社の中でも、ことに願いがよく叶うという奥宮で丑の刻に呪詛を行う者が現れ、それが各地に広まって「丑の刻参り」=「恐ろしい呪いの行為」ということになってしまいました。
美しい渓流の山里のよく願いを叶えてくださる水の神様。
せっかくの「心願成就の丑の刻参り」が真夜中だったばっかりに、恐ろしい丑の刻参りにされてしまったというおはなしです。
ちなみに、丑の月は新暦の1月ですから、その夜中にお参りしたのですから大変なことで、もはや修行です。現在の開門は6時から20時までです。
エムケイコンサルティング 今日も真面目なMicoでした(v^-゜)♡
Baco channelさんの動画を貼らせていただきます。