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米国初の中央銀行-第一合衆国銀行 First Bank of the United States 
 見えざる支配10
 
ドルと中央銀行の歴史
大統領と金融マフィアの経済支配をめぐる攻防
2021.6.20
 
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バージニア植民地のイメージ
 
英国によるアメリカの最初の植民地バージニアがつくられたのは1607年。
 
13番目のジョージア植民地がつくられたのは1732年。
 
その間125年アメリカ生まれアメリカ育ちの人々はイギリスのことなど何も知らない。
 
欧州での侵略戦争、アメリカ大陸での植民地戦争に明け暮れたイギリス政府は、莫大な戦費による財政悪化を補うために、アメリカ13植民地に重税を課しました。
 
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ボストン茶会事件 数百万円の紅茶を捨てる人々
 
 
そんな悪政は、1765年印紙法、続くタウンゼント諸法、茶法と続き、1773年のボストン茶会事件をきっかけに植民地の不満が爆発して独立戦争勃発し、独立宣言、アメリカ独立に至りました。
 
 
【豆知識】イギリス人は紅茶でアメリカ人はコーヒーになった歴史
 
1767年のタウンゼント諸法以降、イギリス政府が植民地でのお茶への課税を執拗に続けたので植民地の人々の不満は溜まり続けていました。
 
1773年「東インド会社」にだけお茶の直売権を与えた茶法Tea Actの成立に至って、憤慨した植民地の急進派がインディアンに化けたりしてボストン港に停泊していた東インド会社の船に積んであったお茶342箱£18000約280万円を海中に投げ捨ててしまいました。
 
有名なボストン茶会事件です。犯行グループの男たちが「ちょっとお茶会をしていたんだよ」とうそぶいたのでボストン茶会事件と呼ばれました。(英;Boston Tea Party)
 
この事件の後、1775年から独立戦争へと進むのですが、これ以降、紅茶を飲む習慣を止めて、アメリカ人はコーヒーを飲むように変わっていったそうです。イギリス人は紅茶、アメリカ人はコーヒーを飲む習慣の背景にはアメリカ独立戦争に繋がる歴史的な出来事が関わっていたというお話です。ちなみに、捨てた紅茶の値段が有名なワイン、モートンロスチャイルド1945一本の値段と同じっていうのが、貨幣価値は違えど偶然なのか因縁なのか面白いですね。
 
さて、今回は、アメリカ独立から近年に至るまでの、金融マフィアとアメリカ愛国者たちの通貨発行権を巡る攻防を、年表で考察するというお話です。
 
独立戦争で大きな戦費負担をしたアメリカ経済を復興させるという理由で1791年第一合衆国銀行が創設されました。最初の中央銀行です。原資は間接的にロスチャイルド資本であり、英国金融資本が20年間通貨発行権を獲得したということになります。
 
その結果、富が金融資本権力集団に集中し、経済支配が進み、格差社会が出現しました。それを改善するため、免許更新を止めてアメリカ政府が1811年通貨発行権を取り戻しました。これが、最初の攻防です。
 
すると、その翌年、1812年に米英戦争が起きます。明らかに、戦争によって、アメリカ経済を弱体不安定化する目的が見て取れます。
 
案の定、1817年に経済安定化の理由で第二合衆国銀行(中央銀行)が出来て20年間続きました。米英戦争が英国金融マフィアによって仕組まれたと思いませんか?
 
1836年、20年の免許が切れて英国金融マフィアによる経済支配が一時的に終わりました。
 
すると、またまた翌年1837年に1837恐慌が起きました。これも金融マフィアが恣意的に起こしていると、そろそろお分かりでしょうか?
 
この後、金融マフィアの経済支配に懲りたアメリカ政府は、頑張って70年間、通貨発行権を死守し続けました。
 
しかし、執拗な金融マフィアの攻撃によって1907年に1907恐慌が起こされました。この頃には、米国にも、ロックフェラー、モルガンらを核にする米国金融マフィアが大きくなり、英国ロスチャイルドとの閨閥形成も進み、米国と英国両方の金融マフィアが米国の経済支配を窺うようになっていました。
 
そして、ついに、1913年、FRB連邦準備理事会が設立され、それまで米国の市中銀行で発行していた通貨は、米国各地に設営された連邦準備銀行で発行されることになりました。英米両国の金融マフィアによる経済支配の始まりです。
 
金融マフィアの筋書き通り、その翌年1914年に第一次世界大戦勃発です。FRBは莫大な通貨発行を行い、そのマネーは、戦争ビジネスを介して金融マフィアの懐に消えました。これが、マネー主義経済の攻防です。
 
世界大戦によって、米国経済は安定し、それまでの基軸通貨だったスターリングポンドに並んで、ドルの基軸通貨の地位を強くしました。この大戦を誰が仕掛けたのか?そうです。そのとおりです。こうして戦争が増えるたびに金融マフィアは莫大な富を手に入れているのです。
 
1939年、第二次世界大戦勃発。この大戦で、イギリスは戦火に巻き込まれ、英国経済は不安定になり、基軸通貨としてのスターリングポンドの地位が弱まりました。
 
それに反して、戦火に巻き込まれなかったドルは基軸通貨の地位を確実にしました。戦後の世界経済を米国金融マフィアが支配することになったのは、必然ということになります。では、この大戦を仕掛けた金融マフィアはどの集団でしょうか?そうです。そのとおりです。
 
基軸通貨の地位を盤石にした米国金融資本権力集団は、1944年、ブレトンウッズ協定によって世界基軸通貨の地位を完全なものにしました。米国金融マフィアのやりたい放題の時代を迎えました。
 
ところが、ブレトンウッズ体制下の安定した戦後の経済環境は、ドイツをはじめとする欧州各国や朝鮮戦争特需が功を奏した日本などの戦後経済復興を急速に進めました。
 
その結果、アメリカの経済的優位を揺るがすことになり、1960年代に入るとドルの流出によって基軸通貨としてのドルの地位低下が顕著になりました。
 
1971年、米国はドル金兌換を停止。金本位制を廃止して管理通貨制(信用供与通貨制)に移行しました。これによって、戦後のブレトンウッズ体制は崩壊しました。
 
同年12月、米国はIMF主要10カ国間のドル固定相場を改定しましたが、その後もドルの価値は低下し続け、各国とも変動相場制に移行して1973年にはスミソニアン体制も崩壊しました。
 
その後は、ご存じの通り、金融マフィアは米国を食い散らし、日本のバブルを演出して日本経済を壊し食い潰しました。
 
いかがですか?独立後、3回奪われたアメリカの通貨発行権(経済支配権)。これまでに、それを金融マフィアから取り戻すために何人かの大統領が金融マフィアに挑みました。取り返すと起きる恐慌。奪われると起きる戦争。どうですか?彼らの世界経済支配の公式が浮き出てきませんか?盗人って同じパターンを繰り返すそうです。
 
最後に奪われてから一世紀を超えました。そろそろなんとかならないのでしょうか?この3回の攻防に関わる面白い逸話は幾つもありますから、興味がある方は調べてみてください。
 
 
17547年戦争勃発
英普vs仏墺露西瑞
17632月パリ条約
7年戦争終結 英国の植民地(市場・原料供給地)優位確立
産業革命の始まり
17653月印紙法成立1766年廃止。
1767タウンゼント諸法成立歳入法・補償法・関税委員法・副海事裁判法・ニューヨーク制限法。1770年茶への輸入税を除いて廃止。
1773茶法成立アメリカ独立戦争の導火線となった。
177312月ボストン茶会事件アメリカコーヒ文化の始まり。
17741月堪えがたき諸法成立Intolerable Act: ボストン港法・マサチュセッツ統治法・裁判権法・宿舎法・ケベック法
 9~10月第一次大陸会議ジョージア植民地を除く12植民地の12議会が参加
17754/19アメリカ独立戦争勃発独立戦争の契機となったレキシントンコンコルドの戦いに勝利
 5月~ 第二次大陸会議81年3月まで開かれ、戦争続行を決定。アメリカ連合軍結成。初代司令官ジョージワシントンを決定した。
17767/4アメリカ独立宣言 
17779~10月 サラトガの戦いアメリカ勝利によって仏・西・蘭・露・瑞・丁・波・などが米に参戦。英国の敗戦色が濃くなった。
17819~10月 ヨークタウンの戦いアメリカ勝利によって、イギリスの敗戦が決定的になった。
1783パリ条約イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認した。
 アメリカ独立戦争終結北アメリカの英国領植民地ではイギリスポンドが流通し、スペイン領植民地ではスペインドルが流通していたため、独立を機に植民地だった13州の通貨統一が必要になった。
 
1789
 
アメリカ合衆国憲法制定
 
1787年9月28日制定、88年6月1日公布、89年5月4日施行されたアメリカ合衆国憲法、第一条8項「貨幣を鋳造しその価値及び外国貨幣交換値を定め度量衡を定める」が通貨発行根拠となる。
1791第一合衆国銀行創設
フィラデルフィアで20年免許制で始まった。(州権重視の反対が多かったから。)
1792アメリカ合衆国造幣局設立通貨単位ドルと決定。
1794
最初の$1硬貨が造られた95にかけてフローイングヘアダラーがスペインドルを参考に造られた。
1811
第一合衆国銀行消滅反対多数で更新されなかった。
1812
6月米英戦争勃発イギリス及び植民地カナダ及び同盟インディアンvsアメリカ合衆国の戦争
1815
2月米英戦争終結 
1817
第二合衆国銀行設立
戦費等経済負担で経済混乱の末、中央銀行再開に至る。
20年免許制。
1836
第二合衆国銀行消滅反対多数で更新されなかった。
1837
5月 1837恐慌が起こる1837金融危機 panic of 1837
1907
10月 1907恐慌起こる1907金融危機 panic of 1907
1913
FRB連邦準備理事会設立各市中銀行によるドル発行から各地の連邦準備銀行による発行に変わり現在に至っている。
1914
7/28第一次世界大戦勃発戦争による経済混乱でドル金兌換制を一時停止した。
1918
11/11第一次世界大戦終結 
1919
ドル金兌換再開ドル金兌換制復活はアメリカ経済の安定性を示し、経済力を背景にして、ドルはスターリングポンドに並ぶ基軸通貨としての地位を獲得する。
1939
9/1 第二次世界大戦勃発国土が戦火に覆われたイギリスとは反対に、全く戦火に巻き込まれなかったドルは、相対的な経済力の向上を背景にして基軸通貨の地位を固めてゆく。
1944
7月 ブレトンウッズ協定
ニューパンプシャ―州ブレトンウッズで開かれた連合国通貨金融会議で1オンス$35、各国通貨はドルに対して固定相場制とすることを決定した。これによって、米国ドルは唯一の世界基軸通貨の地位を確実にした。
1945
9/2 第二次世界大戦終結ブレトンウッズ体制によって安定した戦後経済環境下で、ドイツをはじめとする欧州諸国や戦争特需が功を奏した日本などの急速な経済復興は、アメリカの経済的優位を揺るがすことになった。1960年代に入るとドルの流出によって、基軸通貨としてのドルの地位低下が顕著になった。
1971
8/15 ニクソンショックドル金兌換停止。金本位制を廃止。管理通貨制に移行。ブレトンウッズ体制崩壊。
 
12/18 スミソニアン協定IMF主要10カ国間のドル固定相場を改定したが、その後もドル価値低下が進み、各国とも変動相場制に移行して1973年にはスミソニアン体制も崩壊した。


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