石井紘基は早稲田大学大学院法学研究科を経てモスクワ大学で法哲学博士号を取得した学者。ソ連社会主義の崩壊を予測して帰国。
ソ連崩壊を予測した石井は日本の官僚による官製経済体制を危惧。日本の崩壊を予見した彼は帰国を決意して官僚がつくった異常な戦後日本支配システムの解明に没頭した。
石井は、国会議員の国政調査権を行使するために衆議院議員になり、あらゆる文献を収集し、文献から事実を読み解く学者としての能力を駆使して、特別会計の莫大な財政支出が一体どこに流れているかを明らかにしようとした。
石井以外の日本の政治家で、特別会計という官製経済の闇を解明しようとした者は一人もいない。
石井の鞄から消えた書類は、特別会計の莫大な支出がどこに流れているかを解き明かし日本の腐敗官僚による犯罪を暴く証拠書類であった。
民主党政権が誕生したのは石井紘基が暗殺された7年後2009年であった。
民主党政権がすべきことは、石井が命をかけた官製経済システムの解明だったが、石井紘基を欠いた民主党政権の体たらくはご存知のとおりである。
石井紘基の遺志を継ぐ勇気もない民主党。石井が生きていたら日本は大きく変わっただろう。
大蔵省の天下り官僚が特殊法人の子会社に3年間座っているだけで、3年間の報酬が1億2千万円、退職金が8000万円で2億円が懐に入る。
同じように、三つの子会社に座り続ければ6億円が懐に入る。
加えて、その間の裏金が4億円入って総額で10億円が懐に入る。
大蔵省に入省して出世すれば退職後、10億円の収入を得られるという。
敗戦で、それまで日本を支配していた宮廷人、政治家、軍人、財閥系財界人といった支配階層構成者が、GHQによって権力を剥奪されてしまった結果、唯一残った官僚を核に戦後日本の支配システムが構築された。
その中心になったのが官僚出身総理大臣、吉田茂だった。
当時の論客、大宅壮一は吉田茂を評して、「強靭な性格ではあるのだが思想も理想も無い人物で、その場かぎりの思いつきと押しの一手の政治家である。」と語った。
そのとおりである。
吉田が考案した「官僚の官僚による官僚のための支配システム」のからくりが特殊法人という官営会社と何千ものその子会社孫会社が構成する官製マフィアであった。
官製マフィアの会社には、特別会計歳出という名目で、お金が毎年流し込まれ、国民の税金が天下り官僚らの懐に流れ込むという仕組みである。
こうした特殊法人を核にした官製会社は特殊法人一覧表のように府省ごとに利権がすみ分けされている。
吉田茂は、総理大臣在任中に数多の官僚出身政治屋を量産した。
自民党は官僚政党であり、その権力の執行は官僚利益最優先である。
石井紘基が憂慮した通り、吉田茂が築いた官製マフィアは霞が関に生息するシロアリのように国を食い尽くしている。