国内外事業開発                                                                             
         

美学の國を壊した明治維新
 
西 鋭夫 モラロジー研究所教授 スタンフォード大学フーヴァー研究所教授・小川フェロー
 
日本が遣隋使や遣唐使を送り崇めていた偉大なる文明国は、大英帝国から天文学的な量のアヘンを注ぎ込まれる。眠れる獅子清国はアヘンを拒むが、非情な戦争を 仕掛けられ惨敗。 アフリカ全土とアジア全土と南米大陸は、欧米に食い千切られた。
 
日本とタイ王 国だけが血を流していない。 金銀を沢山持っているジパングは、マルコ・ポーロも夢にまで観た憧れの島国だ。 大判小判は溢れるが、大量殺戮用の武器を持っていない日本。 海から攻めてくる欧米海賊から人命も財産も護れない日本。 二五〇年間、徳川日本は平和の国で、戦争をするための武器改良は必要ではなか った。
 
 一八五〇年代、強欲に染まりきった欧米・ロシアの白人たちが「鎖国とはなにごとか」と艦隊を組み江戸湾に侵入して、日本が見たこともない大砲で恫喝する。 北からロシア、南から英国、東から米国。 西には、息絶え絶えの清国。瀕死の獅子に群がる欧米列強は、ジパングが次の餌 食だと舌鼓 したつづみ を打つ。
 
アヘン
 
欧米白人列強は、地球のいたるところで「カネになるもの」を見つけると、強奪 の限りを尽くした。先住民にたいして残酷な恐怖政治をしき、奴隷として世界中に 売り飛ばして大儲けをする。
 
清国は、二五〇年以上も鎖国をしながら自給自足で豊かな国だった。その清国を破壊したのが英国植民地のインド産アヘン。 北京の国庫にうず高く積まれていた純銀の山は、アヘンの支払いで山崩れを起こ し跡形も無く消えてゆく。さらに、アヘンに絡まる賄賂は、北京の紫禁殿に住む高官から異臭漂うアヘン窟の裏通りにたむろする中毒者たちまでも廃人にして、清国は腐り、中国最後の王朝となる。
 
英国は、清国が金持ちと知っていたので「アヘン戦争」を二度まで仕掛け、巨額の賠償金を強奪する。清国が英国に払わされた総額は、平成の金額で三十四兆円。 フランスへは七兆円。 生き地獄の中でのたうつ清国は、刹那の快楽に逃げようとするが逃げ切れず、偉大な栄華の輝きさえも思い出せず、世界文明の発祥地としての誇りはかき消え、不運が不運を呼ぶ修羅場と化し、復興のきざ しを二度と見ることなく、栄華の夢の跡も破壊されたまま奈落の階段を転げ落ちる。
 
落ちる清国の背中を蹴ったのは、英国だ。 大英帝国は「富国強兵」に成功した大金持ちとして優雅な生活振りを見せつける。 地球の四分の一を植民地にした英国は、貧困と飢餓と疫病と絶望に翻弄されていた十九世紀の世界で、政治の成熟さを現す「議会制民主主義の殿堂」としても崇められた。 明治維新に関する歴史書のほとんどに、アヘンは登場しない。 世界史の動脈を流れるのはアヘンだ。隣国でアヘン戦争がなければ、明治維新は起こっていない。 維新の主役を演じた男たちは、アヘンと関わっていなかったのか。 英国と米国がインドやトルコからアヘンをアジア全土に溢れるほど運び込んだのは、交易物品の中で儲けが桁違いに大きかったからだ。アヘンが狭い日本海を越せず、幕末や明治日本に流れ込まなかったと思うのは、はかない願望だ。 アジア全土で荒れ狂っているアヘン洪水が新市場の日本を眼前にしておさまる理由はない。日本にはアヘン洪水を防ぐ防波堤もなかった。
 
清国では「第二次アヘン戦争」が終結し、英国の暴力でアヘンが合法化されていた時だ。欧米が日本市場をみすみすと見逃すはずがない。 アヘン王国英国と米国が無防備の日本列島に着いたとたんに品行方正の模範生に変身したとでもいうのか。日本で自己反省をして「弱肉強食」の蛮行を悔い改めたのか。反省出来るはずもなく、するつもりもない。 その証拠に、日米と日英の最初の不平等条約の中に、アヘンが登場する。 海賊のようなペリー提督の足蹴りから四年後、一八五八年七月二十九日、十七歳 の美女「唐人お吉」をもてあそび捨てた初代米国公使タウンゼント・ハリス五十四歳が 怯えきった幕府に剛腕を振るい、煮え湯のような「日米修好通商条約」(全十四条) を飲み込ませる。その第四条に、日本は「アヘン三斤まで輸入許可」と明記されて いる。三斤は一・八kg。 その締結からわずか二十八日後、上陸する順番を待っていた英国特使エルギン伯爵は「第二次アヘン戦争」の真最中に、広東(広州)から横浜へ軍艦で来航し「日英修好通商条約」( 全二十五条 )を結んだ。同じ「三斤」が登場する。「阿片密商は厳禁」と書かれているが、三斤までは許可。それ以上は、一斤ごとに十五ドル過 料を支払わなければならないと明記してある。
 
米国も一・八kg。 英国も一・八kg。 これは偶然か。まさか。 この微量が「日米」と「日英」との不平等条約に正式に書き込まれたのは、その裏に膨大なアヘンが出荷を待っている証拠だ。理想論の美しさが現実の醜さに勝てた時代は歴史上に存在しない。アヘンの魔力に抵抗できた国はない。 西洋医学を懸命に取り入れた明治日本は、アヘンとモルヒネを大量に使用した。 アヘンから精製される麻酔薬モルヒネなしで、外科手術はできない。アヘンとモル ヒネは即効の鎮痛剤だ。明治の陸海軍は戦争するたびに大量のモルヒネを必要とし た。 清国でのアヘン洪水を無視したまま「日本だけにアヘンが入ってこなかった」と抗弁すれば、歴史の捏造に接触する。
 
米国史上で最多の戦死者(六十五万人)を出した「南北戦争」(一八六一年四月~ 一八六五年五月)で、数百万人の戦傷者は痛み止めの特効薬としてモルヒネを溶かしたウイスキーやバーボンを飲み、アル中とモルヒネ中毒になった。 インドやトルコや中国から太平洋と大西洋を横断してアヘンとモルヒネが大量に 米国大陸まで運ばれていた時、狭い日本海をアヘンが渡らなかったと考えるのは、 常識はずれである。いや、事実の隠蔽だ。
 
欧米の武器で内戦を始めよ
 
「南北戦争」が終ったばかりの米国から三〇万挺の中古や新品ライフル銃と弾薬 が太平洋を横断し上海経由で薩長土佐(官軍)へ手渡された。若い武器商人トーマ ス・グラヴァー(一八三八~一九一一年)が手配した。グラヴァーは、英国から軍艦と最新のアームストロング砲を長崎や神戸へ運び、官軍へ売る。 巨額の武器代金は誰が支払ったのか。グラヴァー商会が立て替えた。グラヴァーの仕入れ資金は誰が出資したのか。英国政府か。香港上海銀行か、広東の「アヘン貴族」と崇められた英国籍のジャーディン・マセソン商会か。それともロンドンの ロスチャイルド銀行か。全員だろう。「薩長土佐が勝つ」と確信していなければ、大借金を引き受けない。 欧米は戊辰戦争で儲かると皮算用をしていたが、勝者の薩長土佐が財政危機にお ちいる。あおりを受け、グラヴァー商会は破産。 戊辰戦争が勃発する前から、大阪城に陣を構えていた徳川最後の将軍・慶喜 よしのぶ (一 八三七~一九一三年)は、鳥羽伏見の緒戦で負けたと知るやいなや、真夜中の大阪港で米国東アジア艦隊の新品軍艦「Iroquois 号」(イロクオイ号・ 一〇三二トン) に飛び乗り、沖へ停泊していた幕府の軍艦 「開陽丸」(二五九〇トン)で江戸へ戻 る。自ら上野の寛永寺にこもり謹慎。
 
英国公使パークス(第二次アヘン戦争の仕掛人)は、薩長土佐とすでに「倒幕」 の密約を交わしていたが、大阪城で慶喜と会見する。パークス、慇懃丁寧に将軍 を脅したのか。 パークスの通訳はアーネスト・サトウ(一八四三~一九二九年)。天才通訳のサト ウは、英国の卓越したスパイだ。薩長土佐の男たちはサトウの大親友。サトウの日本名は、自分でつけた「薩道愛之助」。明治政府の極秘はサトウを通じて英国政府へ筒抜けだ。
 
一九〇六(明治三十九)年、サトウは日本帝国の最高の勲章「勲一等旭日章」を授けられた。 大阪城で決戦の準備をしていた幕府軍(全国に一〇〇万人)は、総指揮官の遁走 とんそう を見て戦意を失い、城に火を点け拡散。火は火薬庫に飛び火。美しい大きな城は爆音と炎で崩れてゆく。
 
その直後、西郷隆盛と勝海舟が「江戸城の無血開城」で合意し、幕府を終焉 しゅうえんさせたと伝えられる。西郷と勝の話、鵜呑みにはできない。 フランスと英国は、幕府と薩長土佐を将棋の駒のように操 あやつり、内乱を煽動して 両者を消耗させた後、薩長土佐を勝たせ「日本を取る」と話がついていたのだ。
 
英国とフランスは、いがみ合ったという風評が流れているが、事実は違う。
 
英国とフランスは、「クリミア戦争」(一八五三~一八五六年)と清国で「第二次 アヘン戦争」(一八五六~一八六〇年)を共に戦い莫大な賠償金(合計四十一兆円) を手に入れた後、瀕死の清国を延命するために「太平天国の乱」を一八六〇年から 一八六四年まで南京(天京)に本陣を構えた乱の指導者洪秀全 こうしゅうぜん 五〇歳を籠城へ追 い込み、餓死させ、北京を十五年間も脅かした乱を鎮圧した。 英国とフランスは、丸一〇年間、激烈な戦場で共に戦った戦友だ。日本でいがみ合っていたのではなく、明治維新の前夜まで、強欲で固く結ばれていた。 「尊王攘夷」とか「倒幕」で混沌としてきた一八五〇~六〇年代の日本で、英仏 は幕府を孤立させ、薩長土佐をテロ軍団として装備し下剋上戦争をやらせた。島国の内戦は、清国の大規模な内戦よりたやすく制御できる。 英国が最新兵器を持たない造れない地方の血気盛んな若者集団を勝たせた方が扱いやすいと判断したのは、想像するまでもない。
 
英国とフランスは「アヘン戦争」 と「太平天国の乱」で軍艦や将兵を「浪費」したが、日本ではもっと賢く立ち回る。 植民地の獲得方法を熟知している英国とフランスの学習能力は高い。
 
美学崩壊
 
徳川幕府二五〇年の征夷大将軍慶喜、なぜ戦わぬ。なぜ「江戸城無血開城」が現 在まで美化され続け、西郷と勝の「美談」として語り継がれるのか。 斬首の刑にされて当然の大物幕臣勝海舟は、維新政府の重鎮となる。歴史のペー ジに残らない取引があったのか。
 
戊辰戦争が戦われていた一八六八年三月十四日、幕府の重鎮勝海舟四十五歳(一 八二三~一八九九年)と薩摩藩士西郷隆盛四〇歳(一八二七~一八七七年)が二人 だけで江戸の高輪たかなわにあった薩摩藩屋敷の大広間で対座し「江戸城無血開城」を決めたと伝え聞かされ、我々日本人は感動する。我々が大切にする情緒的な美学旋律に響くからだ。
 
それが英国の思う壷。 江戸は新政府が使いたいので温存。英国も美しい江戸に本陣を設立したい。 畳の大広間は、西郷と勝が武士として振る舞った最後の花道だ。 「武士道は永遠」と信じていた西郷は、あの日から武士の時代が終焉に向けて釣瓶落つるべおとしのように落ちてゆくとは想像もしていなかったろう。 「武士の悲劇」は、欧米列強の大量殺戮兵器が大きなうねりとなって「一騎打ち」 で培つちかわれた「武士道の美学」を潰した時から始まった。
 
潰された後、日本精神文化の深層に残っていたものは、かすかに脈打つ鼓動である。失ったモノの大切さに気づき、瓦礫がれきに立たずむ日本人は、武士道が不死鳥のよ うに復活し雄々しくきらめいてくれるのではないと切ない夢を見続ける。
 
だが、非情な大英帝国から指導を受けた薩長土佐は、圧勝した後も、同胞日本人を津々浦々まで追いかけ殺した。 敵前逃亡という醜態をさらけ出した徳川に忠誠を尽くしつつ上野で抗戦した「彰義隊」は、米国製の連発ライフルや英国製アームストロング砲に槍と刀で切り込んで行く古風な男たちの生き様を歴史に刻んだ。
 
欧米かぶれの官軍は、死体を葬ほうむることを許さず、上野の丘に放置させた。 彰義隊は 「賊軍」なので「靖国神社」には奉まつられない。 京都の細い暗い路地で薩長土佐と斬り合った会津若松は、鶴ヶ城を攻められ籠城に追い込まれ、食べ物がなくなっても孤軍奮戦を続ける。援軍は日本中にいない。 勇猛な一〇代の若者で編成された「白虎隊」は、戦いながら悲惨な運命に堕ちてゆ く。婦女は自決を選ぶ。勝利に酔い狂った官軍は、会津の山野に重なるように倒れていた死体を葬ることを許さない。風雨に晒 さらされた遺体は朽ちてゆく。 もののふの決戦で勝者が敗者の屍体をいたぶる悪習なぞなかった日本なのだが、 官軍は上野で戦死者を打ち捨て、会津でも戦死者を打ち捨てる。「武士の情け」も 「戦場での美学」も踏みにじる官軍は、欧米の遺伝子を注入されていたのか。 「脱亜入欧」は、日本人が育んできた「武の美学」を冒涜するほど価値のある願 望だったのか。「勝てば官軍」とささやかれた陰口は「武士道」を汚した者たちに向 けられたのだ。 風雪の時が流れても、日本人は「賊軍の時代が読めなかった忠誠心」を愚直と思わず、日本文化に流れる美学と見る。彼らの行動に純粋な清らかさを見て、敗者の生き様に胸を打たれるのだ。
 
官軍の勝利に大きく寄与した英国は、東京の一等地をもらった。英国大使館は皇居を見下ろせる高台に建造されている。江戸城の最後の内堀の向かい側だ。英大使館から小石を投げたら、江戸城の半蔵門に当たる。 英国は何を手に入れたのか。明治維新政府と交易と金融を手に入れ、すべての指南役となる。世界で最初に明治日本を認めたのは、英国。まるで、自画自賛だ。
 
 一八七二(明治五)年一〇月十四日、鉄道が欧米列強の艦隊が出入りする横浜駅 (現・桜木町)から新橋駅へ設置された。人口の多い京橋や浅草や上野へ鉄道が引かれるべきではなかったのか。その願望が甘すぎる。 日本国民が清国の「太平天国の乱」ように「外国人を追い出せ」と反乱を起すかもしれない非常時に備えて、横浜から丸の内へ兵士と武器弾薬を早く運搬し、日本の要かなめである皇居を抑えるための戦略的な鉄道設置なのだ。皇居の南に在る新橋駅は皇居の下腹へ槍を突きつけているかのようだ。
 
明治維新の亡霊がまだ日本に住み着いている。 平成日本は、世界の波に乗り遅れないようにと焦り焦らされ「国際化」「グローバ ル化」と叫んでいるが、日本で最初の「国際化」は明治初期の「脱亜入欧」だ。日本文化を卑下して、欧米文明を鵜呑みにしようとした「文明開化」だ。
 
維新日本は、欧米の後を追いかけるという劣等感に駆られたまま、好戦的な欧米の帝国主義の模倣をしつつ一九四五年の真夏まで疾走する。 平成日本、歴史を繰り返すのか。 私たちが小中高で学んだ日本史には、明治維新の賞賛ばかり。 坂本龍馬は神格化され、彼の路銀(交通費と生活費)は誰が出したのかと質問することさえ冒涜と見られる。 維新の男たちと英米アヘン富豪との危険な関係についても完璧に白紙。金貨銀貨の話も白紙。豊富に有った日本の金銀は維新の地下道から輝く土石流の勢いで国外へ流失した。「文明開化」の授業料を支払わされたのだろう。 「日本の近代化」という聞き慣れた台詞の裏には「徳川幕府が封建的で恥ずかしいほど時代遅れ」という負の烙印が押してあり、維新が起こったから「近代化でき た」と維新の正当化が行われている。 平和な日本列島の「鎖国の門」を武力で蹴り破った欧米列強の断罪はない。地 球を人種差別と殺戮で植民地にした欧米の残忍な帝国主義に感謝しているかのよ うだ。「鎖国が悪い」と軽蔑したのは、欧米列強だ。「開国」という明るい漢字 が使われたが、美学の国、道徳の国が潰されてゆく地獄門の入り口だったのだ。
 
「維新」を「正義・善」と崇め、「鎖国」を「悪・劣」として見下し、徳川幕府を無能者と決め付けただけだ。江戸時代の天下太平を非武装の徳川の弱点と捉えるのではなく、争いを嫌い二五〇年も平和を維持した偉業と認識するべきだ。 明治になって「脱亜入欧」を果たしたい日本帝国は「欧米化」の熱病に取り憑かれ、息をつく間もなく海外戦争へ突入し、近隣諸国の利権を巡り、鎖国を止めさせた欧米列強と熾烈な戦火を交え、維新からわずか七十七年後、昭和二〇年の真夏に 鮮血が滴したたる戦場で「富国強兵」と「文明開化」の亡骸なきがらを見る。 日本が「脱亜入欧」と「文明開化」と「富国強兵」の鑑とした大英帝国は「模範」 とすべき国ではなかった。
 
グローバル化は廃国音頭
 
 日本で三〇年ほど前から大流行している「国際化」とか「グローバル化」 という熟語は、日本を無道徳の廃坑へ突き落とすための呪文 じゅもん だ。 日本国民の洗練された美学や道徳を破棄させて「世界標準に合わせましょ う」と仕掛ける洗脳だ。
 
維新前夜から拡散した悪性ウイルスのような自信喪失病が再発したのか。 欧米が決めた「標準」に、なぜ技術大国日本が国を挙げて、すり寄らねばならないのだ。日本の政界も経済界も学術界もマスコミも懸命にグローバル化念仏を唱えている。 グローバル化や国際化は、日本の国境を消しゴムで擦り消し、我々の精神文化までも「ガラパコ」と卑下し、日本廃国を急かせるプロパガンダだ。日本の指導者たちは、海外のだれかにへつらっているのか。
 
日本の「国際化」はついに異常現象を引き起こした。外国人のために、世 界的に有名な東京の「秋葉原駅」を「AKB」と表示する。刹那的な金儲けのためか。英語圏に入れてもらうためか。 日本人の誇りを潰して、海外にへつらい、根なしの「国際人」なり、戻れる故郷を失うのか。 日本で押し進められている国際化は「欧米化」の別名。 その漢字をカタカナにすり替えただけの今はやりの「グローバル化」は、 日本語を廃止して、英語を国語にしようとする亡国活動。敗戦日本を占領した米軍も「日本語廃止」を真剣に考えていた。 世界の大企業グループが国境を無くし、税関も廃止し、貿易を自由化して、 世界の経済を独占しようとする画策が「国際化」だ。 英語能力が低い日本人に絶えず劣等感を持たせる「グローバル化」だ。英 語が出来ないと、国際化から取り残された愚かな群衆として差別される。 政府が必死になって日本人の英語能力を向上させようと英語圏から「ネイ テブ」と呼ばれる先生を数多く日本に招聘している。 一九四五年の蒸し暑い夏から日本の学校では英語が必須科目。入試や入社 試験の関所では、必ず英語の試験がある。幼稚園のお受験にも登場するABC だ。 日本人は優秀なので、それほど必死に勉強すると、英語力は世界一になっているはずではないか。
 
米国の大学が海外から留学生を受け入れる時に合否の判断基準に使う英語検定がある。「トーフル(TOEFL)」だ。 日本で使われているのは、「トーイック(TOEIC)」。 その違いは、記述するのが恥ずかしい。 留学志願生が受けなければならない「トーフル」は、日本人に難しすぎる ので、トーフルを創る米国の会社に日本人用に易しい英語試験を作成しても らったのが「トーイック」の起源。 アジア二十七ヵ国のトーフルの国別ランキングが毎年発表される。 北朝鮮が二十五位。日本は二十六位。 国際人になるために国際語の英語は話せねばならないと、戦後日本は半泣 きしながら英語を学んでいるが、結果は無惨。 日本の小中高生たちは、英語が出来なければ頭が悪いと判断される劣等感に悩みながら暮している。この残酷な弊害は「国際化」と「グローバル化」 に狂乱している浅はかな国の教育政策により引き起こされたのだ。
 
品性の黄金時代
 
日本の黄金時代は、貴族が遊んでいた平安時代ではない。金持ちの商人たちが道楽三昧を尽くした江戸の元禄時代でもない。 日本人が数千年かけて創り上げた精神文化の遺伝子、すなわち「国民性」 というべき品性と道徳が融合した美学が我々に真実を直視する知力と発言する勇気を与えてくれる。その勇気が新しい日本を構築してゆく行動力を育む。 日本黄金時代の大黒柱となるのは、我々の文化遺伝子の核、成熟した美学 と道徳心だ。世界に二つとない我々の品性だ。
 
美学と道徳の鼓動は、日本で生まれ、日本の水を飲み、日本語の美しい音色を聞きながら育つ人の魂の中で永遠に響いている。 阪神淡路の大地震、福島の大地震と大津波と放射線被害。悲惨な状況にも かかわらず、日本人は、誇りと秩序を大切にし、他人を思いやり、全力でお 互いを救済する。飢えている被災者たちがスーパーを打ち壊し物品を強奪す るような気配もない。貴重な水を貰う長い列を乱さない。被災者が集まる会場の玄関には数百足の靴が整然と揃えてある。世界中のマスコミがこの日本を見て大感動。世界が日本人の脈打つ美学と道徳心を目の前で見た。日本人の品性に圧倒されたのだ。 一五〇年前から欧米列強が殺そうとした武士道は生きていた。 武士道は美学。その美学の芯は道徳と品性だ。 明治維新から昭和二〇年まで七十七年。 昭和二〇年から平成二十八年まで七十一年。悲劇の繰り返しにもめげず、日本国民は愚直までに美学と道徳を大切にす る。その日本人を世界中が崇める。日本の黄金時代は目の前だ。夜明け前だ。


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